初めて読んだ時は、丸っきり理解できなかった『ソクラテスの弁明』も何回か読んでいく内に理解できるようになったので、要約や感想を書いていきます。
本書を読めば、ソクラテスとはどんな人かが分かるだけでなく、ボクたちが生きる時に直面する『どのように生きれば良いのか?』『死とは何か?』と言う問題をじっくり考えるきっかけにもなりました。
photo credit: Socrates
ソクラテスの弁明の概要・あらすじ
ソクラテスは、古代ギリシャ時代を代表する哲学者。
しかし、周囲の政治家や知識人にはソクラテスの事をよく思っていない連中も多く、「国が認める神々を信仰せずに、さらに若者を堕落させた罪」と言う謎の濡れ衣を着せられてしまいます。
ですが、政治家や知識人がソクラテスを起訴したのは、ソクラテスを有罪にするのが真の狙いではなく、ソクラテスが有罪になるのを恐れて逃亡したり懇願したりして、ソクラテスの面子を潰そうという狙いがありました。
しかし、ソクラテスは堂々とした態度で、裁判に姿を現します。
しかも以下の理由で、死ぬ覚悟で裁判に登場したのです。
アテナイ人諸君、私はここで自分のために弁明するようなことは思いも寄らない、むしろ私の弁明はただ諸君のため、諸君が私を処刑する結果、神から諸君に授けられた賜物に対して罪を犯すようなことにならないためです。
つまり、「ここの裁判に来たのは自分のためでなく、お前らに俺の思想を託すためだッ」と言う哲学者の鏡の様な発言をしたのです。
この発言の本気度は、本書を読んでいくと明らかになります。
では、どのような事をソクラテスは弁明(発言)したのか?
ソクラテスの弁明の要約
『ソクラテスの弁明』の見どころ・ポイントはいくつもありますが、その中でもボクが特に印象に残ったのは、以下の3点でした。
- 『無知の知』に関して
- 死とは何なのか?
- 芸術的にも最高らしい
以下は、詳しく説明していきます。
『無知の知』に関して
哲学をあまり知らない人でも、「無知の知」と言う言葉だけは知っていると言う人も多いはず。
本書では、最初に『無知の知」について、ソクラテスが以下の実体験を交えながら説明していました。
ソクラテスの友人カイレフォンは、神様の一人であるデルフォイの神に以下の様な質問をしたようです。
即ち彼は、私以上の賢者があるか、と伺いを立てたのです。ところが巫女は、私以上の賢者は一人もいないと答えた。
(注:巫女とは、デルフォイの神のこと)
要は、神様は「ソクラテスよりも賢い奴はいないよ」と答えたわけです。
そこでソクラテスは、神様が言ったことが本当かを調べるために、あらゆる分野の賢者1人1人に話を聞いて回ります。
彼らの話を聞いていると、確かに知識があるなとは思うのですが、ソクラテスは以下の様にも考えたわけです。
彼と対談中に私は、なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、しかしその実彼はそうでもないという印象を受けた。
普通に考えると、「色々な知識を知っている=頭いい」と言う考えに行き届きそうですが、ソクラテスはそうは思いません。
私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていないからです。
要は、他の賢者たちは何も知らないのに知っている風な態度を取っているのに対して、オレは何も知らないことを自覚している点で優れている、と言っているわけです。
これは、ただソクラテスが嫉妬しているとか、賢者たちは実はアホだったと言う話ではありません。
例えば、ボクたちでも「この事に関して良く知っている」と思う事は1つや2つ持っているでしょう。
しかし、「良く知っている」と思うと言うことは、「もっと知りたい」という好奇心を失くしているに等しいことなのです。
しかも、1つや2つの分野に詳しかろうが、この世の全ての知識・データに比べれば、1人の人間の知識なんて取るに取りません。
だからこそ、自分は何も知らないと言うのを自覚しつつ、「もっと知りたい」と言う考えをしなければいけない、とソクラテスは言っているのです。
この考えは、何も哲学だけに収まる話ではなく、現在の社会で活躍するため、生き抜くために重要な考えだと感じました。
死とは何なのか
冒頭で述べたように、ソクラテスは死ぬ覚悟で今回の裁判に現れたのです。
なので、ソクラテスの話も自然と「死とは何か?」と言う所に行きつきます。
なぜならば死を恐れるのは、自ら賢ならずして賢人を気取ることに外ならないからです。しかもそれは自ら知らざることを知れりと信ずることなのです。
思うに、死とは人間にとって福の最上なるものではないかどうか、何人も知っているものはない、しかるに人はそれが悪の最大なるものであることを確知しているかのようにこれを恐れるのです。
ボクたちは、死について何も知らないくせに、あたかも最悪の出来事のように捉えています。
ソクラテスは、それこそが知った被っているだけで、先ほど言った『無知の知」を実践していない、と言っているのです。
理屈では納得できるけど、実際に死ぬ間際になると、ソクラテスの様に冷静を保ち続けるのは至難の業でしょう。
この境地に達するためにも、ボクたちは一生をかけて『死』をテーマに考えていく必要がありそうです。
芸術的にも最高の作品らしい
ボクは本書を読んでいる時は、ソクラテスの真意を読み解くのに必死だったので分からなかったですが、本書は芸術的にも最高クラスの作品らしいです。
『ソクラテスの弁明』とその続編とも称すべき『クリトン』とは、『ファイドン』と共に、この世界史上類泣き人格の、人類の永遠の教師の生涯における最も意義深き、最も光輝ある最後の幕を描いた三部曲とも称すべき不朽の名作です。
訳者の解説で、本書をベタ褒めしているんですね。
ボクも色々な小説の解説を読んできましたが、ここまでベタ褒めする解説も珍しいのでは、と思います。
しかも、本書は『ソクラテスの弁明』だけでなく、先ほどベタ褒めした三部曲の1つ『クリトン』も収録されています。
教養を深める、読書を通じて頭を動かすにはもってこいの作品です。
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