最初に「幼年期の終わり」を読んだときは、ただ単に「SF小説って面白いなー」ぐらいしか思わなかったですが、最近になって読み返してみると、色々な気づきがあったので、レビューを書いていきます。
東野圭吾とかのミステリー・推理モノも面白いですが、これからの時代はSF小説を読むべきなのでは、と思える内容でした。
人類が宇宙船を開発して宇宙への旅を始めようとした時、突然、巨大なエイリアン宇宙船が地球にやってきた。
それから50年もの間、人類よりも高い知能と文明力を持ったエイリアン「オーバーロード」の管理によって、人類は犯罪もない・戦争もない・好きな時に好きなことをできるユートピア(楽園)を手に入れることができた。
人類を管理するオーバーロードとは、何なのか?彼らの真の目的とは?
「幼年期の終わり」の感想
「幼年期の終わり」は人類の近未来を描いた小説かもしれない
最初に本書を読んだときは「面白いSF小説」と言う印象だったけど、つい最近読んでみると、「幼年期の終わりは、人類の未来を予言しているのではないか?」と思うぐらい、強い衝撃を受けました。
と言うのは、「Google DeepMind」が作った囲碁ソフト「AlphaGo」が、世界最強の棋士と言われている「イ・セドル」9段を破った、と言うニュースが大きな話題を呼んだからです。
普通に勝利したならまだしも、このニュースでショッキングだったのが、「囲碁のプロが見ても、なぜイ・セドル9段が負けたのかが分からない」という事です。
つまり、ただコンピュータが強い、と言うだけの話ではなく、そもそも人間とコンピュータの次元が違う、と言う所まで進化しているのです。
第2局も勝ったのはコンピューターだった。黒番のAlphaGoは大胆な布石を見せた。明らかに損だと思える手がいくつもあった。
「それはダメでしょう?」と呆れさせるような。しかし進むに連れて評価を変えなくてはならなかった。
コンピュータが人類よりも進化した、と言うのは囲碁の限った話ではなく、今までも、そしてこれからもどんどん人類の仕事や能力がコンピュータにとって代わっていきます。
「幼年期の終わり」のオーバーロードをコンピュータに置き換えて読んでいく
「幼年期の終わり」の中で、エイリアンである”オーバーロード”は、人類にとって知能・文明が高度すぎて理解ができない存在として書かれていますが、これは決して単なる作り話ではありません。
なぜなら、現実の科学者経たちは、「コンピュータは2045年には人類の知能を完全に超える」と予想しており、人類がオーバーロード=進化したコンピュータに出会う日は、そう遠くはないからです。
なので、このオーバーロードを単なる架空のキャラとして見るのではなく、現実のコンピュータに置き換えて読むと、「このままコンピュータが進化していくと、人類はどうなるのか?」と言う話として、読むことができます。
いまでは、地球はほとんど文字どおり一つの新世界であった。幾世代ものあいだ人類に貢献してきた多くの都市が、つぎつぎに再建されるか、さもなくければ、価値を失うと同時に放棄され、博物館の標本となっていた。
こうした方法で、すでにかなりと都市が廃棄された結果、商工業の機構全体が一変してしまった。生産は大規模に機械化され、無人工場が絶え間なく消費物資を市場に送り出したので、一般の生活必需品は事実上無料になった。
人間はただ自分の望む贅沢のために働くか、それともまったく働かないかのいずれかだった。
引用:「幼年期の終わり」p.128より
こう読んでみると、「こんな未来はありえないだろ」と思うかもしれませんが、進化したコンピュータは神様みたいな存在なので、一概に否定はできません。
科学の理論をきちんと踏まえて物語が進んでいる
SF小説は科学を題材にした物語なので、基本的には現実の科学の法則を踏まえて物語を進めていく必要があります。
しかし、並みのSF小説では、途中までは科学法則にのっとって物語を進めていくものの、話を盛り上げるために、いきなり科学を無視する小説もあります。
「幼年期の終わり」では、オーバーロードが不思議な力を発揮する部分もあるものの、最初から最後まで科学法則を守って物語が進むので、ちょっとした勉強にもなります。
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