デカルト「方法序説」の要約・解説をしていく

   

デカルト 方法序説photo by Rafael Robles

デカルトの「方法序説」の理解が深まってきたので、「方法序説」の要約や解説をしていきます。

たった100ページ足らずの本にこんなに苦戦を強いれられるとは思いませんでしたが、本書を通して、より一層哲学にハマりそうです。

今回は、岩波文庫さんの「方法序説」を使って、備忘録を兼ねて解説していきます。

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第1部:デカルトの哲学テーマについて

本書「方法序説」は全部で6部に分かれており、最初の第1部は、「デカルトが考えた哲学のテーマの紹介」が主に書かれています。

その記念すべき第1部の最初の文は、以下の様なものでした。

良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。

岩波文庫「方法序説」p.8

ここで「良識」とは、「真と偽を区別する能力」のこと。つまり、上の1文は「正しいことと間違っていることを区別できる能力は、人間なら誰しもが持っているよね」と言う意味なのです。

ちなみに、「公平に与えられている」と言うのは、皆同じレベルの能力を持っていると言う意味ではなく、あくまでも、「個人差はあるけど、皆平等に持ってるよね」ぐらいの意味でしかありません。

デカルトの『良識』に対する意見

で、人間はこの良識を使って、様々な学問の発展の成功を収めていき、デカルト自身もこのことに非常に満足するのですが、デカルトは、以下の様な疑問も感じ始めます。

しかし、わたしが間違っていることもありうる。金やダイヤモンドだと思っているものも、ただの銅やガラスにすぎないかもしれない。自分にかんすることでは、どれほど疑わしいものになりかねないか、友人の判断が、わたしたちに好意的であるとき、どれほど疑わしいものになりかねないか、わたしも知っている。

岩波文庫「方法序説」p.10

要は、「オレたちが見たり、聞いたり、感じたりしているものが、本当に正しいとは限らなくね?それに、『オレたちが見たり聞いたりしているものは、絶対に正しいです』と言う証明が未だにハッキリとされていないのは、危険だよね」と言っているのです。

デカルトが哲学の分野でやりたかったこと

デカルトの専門分野である哲学は、数学みたいに「A=B、B=C、よってA=C」と言う感じの、誰でも再現可能な定理とか考え方が一切なく、哲学者たちが自分勝手に「愛は大事だよね」とか「人生の目的は~」と自分勝手なことを言っているだけで、学問としての基盤(正確性)はあまりにも弱い分野です。

しかも不幸なことに、数学や物理などの全ての学問は、この弱い基盤の哲学を元に作られている学問なので、最悪の場合、「全ての学問は正しくありませんでした」と言う可能性だってあるわけで、こうなると、今までの学者の苦労は全て水の泡に帰すことになってしまいます。

それを防ぐために、デカルトが掲げた哲学のテーマは、「オレたちが見たり、聞いたり、感じたりすることは、絶対に正しいよ」と言うのを証明することになったのです。(ちなみに、この「見たり、聞いたり、感じたり」と言うのを、やや難しい言葉で、「認識する」と言う)

第2・3部:デカルトの半生とか考え方とか

で、ここまで来ていよいよ本題かと思いきや、第2部と第3部を使って、いきなり自分の半生や人生を歩む中で考えたこと等を語り始めます

例えば、軍隊に入ったとか、旅に出掛けたりとか、「大勢の建築家が作るよりも、1人の建築家が作った建築物の方がキレイじゃね?」と考えたりとか、哲学書と言うより、もはやエッセイみたいなことを書いています。

でも、ただ適当に過ごしているわけではなく、色々な経験を通して、デカルトの哲学テーマ「オレたちが認識することは正しいのか?」を解きあかすための作戦を考えていました。それが、以下の4つです。

第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け付けないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何も私の判断に含めないこと。

岩波文庫「方法序説」p.28

つまり、「思いこみとか希望とか一切抜きにして、自分が絶対に正しいと言い切れるもの以外は、どんなものも受け付けない」と決めたようです。

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をより解くために必要なだけの小部分に分割すること。

第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。(中略)

そして最後は、全ての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること

岩波文庫「方法序説」p.29

デカルトはこの4つの問題解決の手順を哲学で使いましたが、この方法は、現代を生きるボクたちでも仕事や勉強に使えそうですね。

どんなに難しそうに見える問題でも、1つずつ小分けをしていき、簡単なものから片づけていくと言うのは、昔から使われている仕事術なんですね。

第4部:我思う、故に我あり

第4部で、ようやく「方法序説」の本題に入ります。この章で、デカルトがテーマにしている「オレたちが認識していることは正しいのか?」を問い詰めていきます。

でも、ここでデカルトが偉かったのは、ただ当てずっぽうで「これが答えです」と言ったのではなく、「とりあえず疑えるものは全部疑ってみて、どんなに疑っても疑っても疑いきれないものを答え(真理)とする」と言う消去法で、この問題を解いていくことにした所です。

ちなみに、この「とりあえず全部疑って、正しい答えを見つける」と言う方法を、専門用語で『方法的懐疑』と言い、「デカルト=方法的懐疑」と言い切っていいぐらい大事な言葉です。

方法的懐疑(ほうほうてきかいぎ)とはルネ・デカルトによって提唱された哲学用語。これはデカルトによる哲学の革新の出発点であり、確実なものに到達するまでの手段として行われる懐疑。この世に存在する偏見や謬見、あるいは真実らしく見えているものの不確実であるなど疑う余地が少しでもあるならば、疑う余地があるとして否定していくということである。

引用:「方法的懐疑 - Wikipedia

我思う、故に我あり(コーギトー・エルゴー・スム)

と言うわけで、デカルトは、ありとあらゆることを疑いまくります

例えば、目の前にミカンがあるとします。でも、本当に目の前にミカンがあるのでしょうか?もしかすると、ただ「ミカンを見ている夢を見ている」だけなのかもしれません。

「いや、そんなわけねーじゃん」とツッコミたくなりますが、だからと言って、「ミカンを見ている夢を見ている」と言うのを論理的に否定するのは、不可能なんですね。だから、本当にミカンが目の前にあるとは言い切れないのです。

さらにデカルトは、疑いの目を持ち始め、「もしかしたら、いたずら好きな悪霊が、オレにミカンの幻覚を見せているのかも?」と、めちゃめちゃオカルトチックなことまで疑い始めます。でも、こんな突拍子のない考えですら、論理的に否定することは不可能なんですよね。

こういう風に、ありとあらゆることを考えている時に、デカルトはあることを閃きます。

このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えていることわたしは必然的に何ものかでなければいけない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する[ワレ惟ウ、故ニワレ在リ]」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえでも揺るがしえないほど堅固で確実なものを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる。

岩波文庫「方法序説」p.46

つまり、ミカンが目の前にあるのが夢だろうが悪霊のしわざだろうが、それを「私が疑っている」と言うことは絶対に正しいことだ、と言っているわけです。

なぜなら、「『私が疑っている』と言う夢を見ている」としても、やはり、「『私が疑っている』と言う夢を見ている」のではないかと疑っている自分が存在しているから。

と言うわけで、デカルトは「疑っている私は、絶対に存在する」と言う哲学の第一証明に成功したのです。

神の存在証明

ですが、デカルトの最終目標は「オレたちが認識することは、全て正しい」と言うことを証明することです。なので、「疑っている私は絶対に存在する」と言う定理から、さらに論理を展開させるために、『神の存在証明』を行うことにしました。

まあ、神の存在証明と言っても、以下の手順で「オレたちの認識は正しい」と言うことを証明しただけです。

  1. 「疑っている私」は神の存在を知っている。
  2. 普通に考えると、不完全な存在である「私」が、完全な存在である神を知っているのはおかしい。
  3. つまり、私が神を知っているのは、元々私が神を知っていたのではなくて、「外部」から神の存在を知ったことになる。
  4. ゆえに、神は存在する。
  5. 私は完全な存在である神を外部から知ることができるので、不完全な存在である「ミカン」とか「田中君」を正しく認識することができる。

正直、この論理を聞いて「お前何言ってんの?」と思った人は多いと思います。実際に、哲学者達の間でも、この「神の存在証明」はなかなか評判が悪いらしいです。

例えば、ヒュームと言う「イギリス経験論」を生み出した哲学者がいるのですが、その人は「神様は、デカルトが言うほど特別な存在じゃねーよ」と完全に論破しています。

デカルトの功績とは?

残念ながらデカルト哲学は、最後の「神の存在証明」でゴチャゴチャしてしまい、あまり評判が良くないです。

しかし、デカルトの哲学における功績は、「当たり前だと思うことでも疑ってみて、論理的に物事を証明していく、と言う学問の流れを作ったこと」にあります。

デカルト以前のヨーロッパではキリスト教が実権を握っており、人々は、「神様が言っているから、正しい」みたいな宗教チックな思考回路をしていたわけですが、デカルトはその流れを止めて、「人間が本来持っている良識(理性)だけで、物事を解決しようぜ」と言った人物とも言えますね。

ちなみに、デカルト功績は哲学だけでなく、数学にも歴史に残るような発明をしています。それが、「X軸、Y軸で書かれた平面座標の発明」です。

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当時は、「-(マイナス)」と言う概念を理解するのが難しかったのですが、デカルトはそのマイナスをも、グラフとして書き表せるようにし、今後の幾何学(図形を扱った分野)の発展に大きな影響を与えました。

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